2023年9月はラグビーW杯フランス大会で盛り上がっていますね!
連日の試合をテレビ前で楽しんでいる方も多いのではないのでしょうか?
今回はそんなラグビーW杯に日本代表選手として出場している垣永真之介選手の
【学歴】垣永真之介の中学・高校はどこ?大学は早稲田出身!
についてまとめてみました。
垣永真之介のプロフィール

まずは垣永 真之介さんのプロフィールをまとめてみました。
名前:垣永 真之介
読み方:かきなが しんのすけ
生年月日:1991年12月19日
年齢:31歳(2023年9月現在)
身長:180cm
体重:115kg
足のサイズ:29.0cm
日本代表キャップ:12(2023年9月現在)
出身地:福岡県福岡市
出身高校:東福岡高校
出身大学:早稲田大学
所属チーム:東京サントリーサンゴリアス
ポジション:PR(プロップ)
垣永 真之介選手のラグビー歴

垣永真之介選手がラグビーを始めたのは幼稚園の時。
6歳の頃には40kgと同年代の子供の2倍以上あった体重があったため、ダイエット目的で草ヶ江ヤングラガーズという福島市のラグビークラブに入ったそうです。
ラグビー選手として注目され始めた東福岡高校時代では全国高等学校ラグビーフットボール大会に3度出場していて2回優勝しています。また、2009年には高校日本代表にも選出されています。
高校卒業後は早稲田大学へ入学。大学4年になった2013年には早稲田大学ラグビー蹴球部の主将に就任を果たし、大学選手権準優勝まで貢献しています。
大学卒業後は2014年にサントリーサンゴリアスに入団、公式戦初出場は同年のジャパンラグビートップリーグのコカ・コーラレッドスパーク戦での途中出場になります。
同年の2014年11月23日に行われたグルジア戦では日本代表初キャップを獲得しており、入団1年目ながらチームに貢献しています。
ただ、2015年のラグビーワールドカップは出場は叶わずバッグアップメンバーに選出されたものの、同年12月にはスーパーラグビーの日本チームであるサンウルブズのスコッドに入りました。
そのまま2019年のワールドカップの出場を目指したものの右膝の大きな怪我で出場することはできず、2023年のワールドカップが初出場になります。

垣永真之介選手のポジションであるフロップはスクラムの最前線で、相手を押し返すプレー力が必要となってきます。
力強いプレーが魅力の垣永 真之介選手ですが、試合中に叫ぶ姿がとても印象的なんです。
垣永真之介選手自身も、勝負所では叫ぶことがひとつの役割とも思っているそうです。
垣永 真之介選手の性格について

ラグビー選手の側面が強い垣永真之介選手ですが、プライベートの方も少しご紹介。
性格は明るくでチームのムードメーカとのことですが、Twitter(現在はX)やInstagramを見るとその様子がとても伝わってきます。
仲間と練習している姿や楽しそうな姿は見れるのですが、うさまるのフェイスパックをしていたりセーラームーンの格好をしていたりと、なかなかのノリの良さを感じられます。
垣永真之介の中学・高校はどこ?
垣永真之介選手の出身中学校は原中学校、高校は東福岡高等学校となっています。
詳しく見ていきましょう。
垣永 真之介選手の中学校は原中学校

垣永真之介選手の中学校の情報は、はっきりと中学校名を公表していません。
ですが、東京サントリーサンゴリアスで紹介されているプロフィール欄に下記の記述がありました。
出身地の自慢 浜崎あゆみと一緒の中学校
https://www.suntory.co.jp/culture-sports/sungoliath/member/kakinaga.html
浜崎あゆみさんの出身校は原中学校ということがわかっているので、垣永真之介選手も同じ学校であると確定できます。

垣永真之介選手は、本当は中学では当初野球部に入ろうとしていたみたいですが、周囲からの説得によりラグビー部に入ったそうです。
周囲が放っておけないほどのラグビーの才は、この頃にはすでにあったみたいですね!
原中学校は公立中学校で共学となっています。
所在地は福岡県福岡市早良区飯倉4丁目。
スポーツに力を入れているという記述は見当たらず、活気あふれる普通の公立中学校のようです。
垣永 真之介選手の高校は東福岡高等学校

高校はラグビーの名門である東福岡高等学校です。
学校法人東福岡学園が運営していて、男子高等学校が特徴です。
校訓は「努力に勝る天才なし」「意志あるところ道あり」となっており、練習が大切とされているスポーツ校にはぴったりという感じですね。
東福岡高等学校はラグビー以外にもサッカーや野球、ボクシングやバレーなどの部活でも実績を出している強豪校でもあります。
学校の所在地は福岡県福岡市博多区東比恵2丁目、偏差値は59となっています。
東福岡高等学を調べて面白いと思ったのが、運動施設の充実っぷり。
温度制御チップを組み合わせている全面人工芝のグラウンドの広さは、名古屋ドームグラウンドの約1.7倍。
生徒の安全に考慮したラグビー場にはなんと緩衝材が組み込まれていたり、校内ではなく専用の野球場もあります。
垣永真之介は早稲田大学出身!
垣永真之介選手が大学時代に通っていたのは早稲田大学です。
スポーツ科学部所属で、大学4年生ではラグビー蹴球部(しゅうきゅうぶ)の主将を務めました。
ここでは早稲田大学はどういった学校なのか、垣永真之介選手はどういった大学生活だったのか調べてみました。
ラグビー強豪校の早稲田大学ラグビー蹴球部

ラグビーが強い大学といえば?と質問すれば、明治大学や帝京大学を抑えて早稲田大学の名前を出す人も多いのではないでしょうか。
早稲田大学ラグビー蹴球部は全国でもトップクラスのラグビー部となっていて、実績も多数あります。
全国タイトル29回(全国大学タイトル24回・日本選手権4回)、全国大学タイトル25回(東西対抗9回・大学選手権16回)と全国大学再多数の記録になります。
また、OBが中心となって発足されたクラブチームである神奈川タマリバクラブも、全国クラブ大会で最多数優勝10回を誇っています。
いかに早稲田大学ラグビー蹴球部が強いのか、優勝数を見るとわかりますね!
早稲田大学ラグビー蹴球部の創部は1918年で、国内では4番目に古い大学ラグビー部となっています。
実力と歴史を兼ね備えた、ラグビー選手を目指す人にとっては憧れの大学の部活だと言えます。
スポーツ科学学術院が本拠地となっている所沢キャンパスの所在地は、埼玉県所沢市三ケ島2丁目。
早稲田大学はラグビー場もあり、そちらの所在地は東京都杉並区上井草3丁目になります。
早稲田大学のスポーツ科学部の偏差値は65となっています。

そんな早稲田大学ラグビー蹴球部に所属していたた垣永真之介選手ですが、大学生でのラグビー生活は順調でなくむしろ困難の方が目立つくらいでした。
1年生のときの全国大学選手権では、決勝へいくものの帝京大学に敗退。この時の試合で首の怪我を負ってしまい、試合からは長期離脱しまうことになります。
復帰を果たしたのは大学3年生のときですが、大学選手権準決勝ではまたしても帝京大学に敗戦。
主将となった4年生でも春、夏合宿、対抗戦を帝京大学に負け、大学選手権も決勝で帝京大学に敗退しています。
大学生活4年間に渡って立ちはだかる帝京大学の赤いユニフォームが、垣永真之介選手のトラウマになってもおかしくなさそうですよね。
けれど、垣永真之介選手は前向きに「後悔はない」「振り返って素晴らしかった」と、早稲田スポーツ新聞会のインタビューで答えています。
学生時に培った、きちんと前を向いて困難に立ち向かっていく強さが、ワールドカップ出場を果たせた理由の1だと言えそうです。

