2023年8月に俳優の石原純一さんの姉である、石田桃子さんが亡くなられていたことがわかりました。
今回は、石田桃子さんはどんな人?という方のために
【wiki】石田桃子の職業はピアノ演奏家!生活苦でアルバイトもしていた!
を調べてみました。
ピアノ演奏家という華やかな職業の裏では、アルバイトをしていたと噂もある石田桃子さん。
どんな生活だったのでしょうか。
石田桃子wikiプロフィール

名前:石田桃子
読み方:いしだももこ
生年月日:1950年?月?日
没年:2023年8月?日(72歳)
出身地:広島県広島市
最終学歴:桐朋学園大学卒業
職業:歌手、ピアノ演奏家
石田桃子さんがピアノを学び始めたのは6歳
石田桃子さんがピアノを学び始めたのは6歳の頃。
NHKアナウンサーであった父親の石田武さんが、アメリカ・ワシントン支局へ転勤を命じられてアメリカに移住したのがきっかけです。
移住先でアメリカボストンやポーランドのオーケストラに所属している、アンソニー・ダミーコ(Anthony D’Amico)さんにピアノを習いました。

日本に帰国してからは、桐朋女子高等学校音楽科に入学。
ピアノを大島正泰さんや加藤伸佳さんに、作曲を蒔田尚昊さん(まいたしょうこう:ペンネーム 冬木透)に師事して学んでいました。
その後、日本の3大音楽大学のひとつである桐朋学園大学音楽学部作曲理論科へ入学しています。
石田桃子さんの血縁関係がすごい
石田桃子さんの弟はタレントの石田純一さんであることは、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
実は血縁関係を見てみると華やかな経歴の方ばかりなのが印象的なんです!
下記にまとめてみました。
・弟の石田純一さんは俳優でタレント
・父親の石田武さんはNHKアナウンサー
・祖父の石田武太郎さんは現日本経済新聞記者
・いとこの渡辺興二郎さんは山口朝日放送社長
・甥っ子のいしだ壱成さんは俳優
・姪っ子のすみれさんはモデル
一般家庭ではありえないような職業ですよね。調べてみてびっくりしました!
なお、石田桃子さんご本人は一度結婚してはいるものの離婚。子供はいなかったようです。
石田桃子の職業はピアノ演奏家!

石田桃子さんは、実は桐朋学園大学在学中から演奏活動をスタートさせています。
永六輔さん・丸山浩路さん・丸山圭子さんなどのツアーバンドで、国内外のコンサートに多数出演。
1988年にはサントリーホールで全米No. 1ジャズ・クラリネット奏者であるエディ・ダニエルズのコンサートに、東京交響楽団とともにゲストとして出演しています。
また、弟である石田純一さんのコンサートやディナーショーにもゲスト出演をしていました。
石田純一さんとはアルバムも出していたので、とても仲のいい姉弟だったのが伝わってきますね!

一方で、バンド活動もしていたようで『石田桃子&グローバル・ルネッサンス(地球維新・地球復興)』等にも出演していました。
YouTubeでは2022年12月19日に「桃ちゃんねる」というチャンネルも開設しています。
演奏だけでなく、株式会社グローバルルネッサンスも設立しています。
他にもテレビ出演やラジオパーソナリティ、執筆活動など活動は多岐にわたり、とても積極的に取り組んでいました。
石田桃子は生活苦でアルバイトをしていた!

石田桃子は生活苦で部屋の電気が止められていた
小さな頃からピアノに親しんでおり、大学在中から演奏活動をスタートしていた石田桃子さん。
調べていくと、生活苦のため2022年から梱包作業のアルバイトもしていたとのことがわかりました。
ですが、アルバイトをしても金銭的に余裕ができたわけではなく、石田桃子さんの部屋の電気が止められていたほど困窮していました。
石田純一さんのインタビュー記事をチェックしてみると、下記の発言が記載されています。

本人もプライドがあって、ずっと音楽以外の仕事は一切してこなかったんです。しかし、生活も大変で、昨年から梱包のアルバイトを始めたところでした。
デイリー新潮
先ほども紹介した血縁関係を見てみると、そうそうたる方に囲まれていることがわかります。
石田桃子さんは、経済的に裕福である弟の石田純一さんや父親の石田武さんに、経済的な助けを求めることができたかもしれません。
ですが、順調ではない自身と比較して惨めに思えてしまって、自分でどうにかしようと頑張っていたのかもしれないと想像できます。
石田桃子がやっていた梱包のアルバイトとは

ここで気になるのは、石田桃子さんがやっていた梱包のアルバイトの内容。
実際に石田桃子さんがやっていた具体的な作業内容はわからなかったので、一般的な梱包作業について調べてみました。
梱包作業とは、商品や製品を段ボールや袋などの梱包材に詰めていくのが主な仕事
単純作業で同じ手順を延々と繰り返すため、向き不向きがありそうな仕事です。
ただ、梱包のアルバイトは他のスタッフとの関わりは最低限であるため、ある程度の知名度があった石田桃子さんがその点を考慮して選んだのかもしれません。
一方で、梱包のアルバイトは長時間立ちっぱなしであったり、工場によっては暑かったり寒かったりするため体力面できつい面もあるようです。
いずれにせよ、演奏活動と並行して行なっていた梱包のアルバイトは、70代だった石田桃子さんには辛かったのではないかと思います。
